僕は1949(昭和24)年、江戸川区の生まれ。戦後まもない頃の下町は鉄工所が多くてね。子供時代は鉄工所に置かれた飛行機の残骸や戦車の中で遊んでいました。1950年代の東京は、江戸川から東京タワーが出来上がっていく様子がありありと見えたんですよ。
両親の影響でナット・キング・コールを聴いていた洋楽好きな子供で、中学2年の時にビートルズと出会って夢中になりました。最初にラジオで耳にした「ASK ME WHY」には衝撃を受けましたね。
僕が初めて六本木に足を踏み入れたのは、高校3年の時。小学生からずっと野球一筋だった毎日が、高校2年で野球部を退部してからはギターが楽しくなって、音楽にのめり込んでいきました。その頃、六本木5丁目の『ハンバーガー・イン』(飯倉片町で1950年創業。正式店名は『ザ・ハンバーガー・イン』)が話題で、クラスの友達と食べに行ったのが六本木初体験。お客さんの半分がアメリカ人で、日本じゃないような雰囲気に感激してね。それまでは親父に連れていってもらった後楽園球場のホットドッグが人生最大のカルチャーショックだったけど(笑)、無けなしのお金を握りしめて『ハンバーガー・イン』に行って、夢のような時間を過ごしたのが17歳の最高の思い出でした。
18、19歳の頃は、『アマンド』の横にあった『さわ』というサパークラブで、1年半くらいバンドで出演していました。大学に進んだものの学園紛争真っただ中で、ほぼ休校状態だった時代です。
東京生まれ東京育ちの自分にとっても、六本木はとにかく憧れの場所で、まさかそこで仕事ができるなんて夢にも思ってなかった。今でも『アマンド』の横の坂道を歩くと、半世紀も前のことをありありと思い出しますよ。果たして自分の音楽で飯が食っていけるのか、本当にこれを天職にしていいのかと、思い悩みながら歩いてたなぁ。
飯倉片町のイタリアンレストラン『キャンティ』の1階にあった『ベビードール』は、ロカビリーのミュージシャンや芸能界の先輩たちが衣装を誂えるファッション・ステイタスの頂点のような店で、今まで見たこともないような『ピエール・カルダン』のタイトなスーツとかを置いていて、憧れの店でした。あまりに高くて手が出なかったけどね(笑)。やっとバンドで稼げるようになってから、メンバーと『ベビードール』で衣装を揃えて、意気揚々と六本木を闊歩した記憶があります。僕は一つの時代を作るには「食事と場所、ファッション」が必要だと思っていますが、当時の六本木はその全てがある街でした。