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プロフィール

1947年生まれ。13歳で六本木野獣会に加入し、16歳でスパイダースのボーカルとして参加。

'72年に解散後も、『昨日・今日・明日』『お世話になりました』等数々のヒット曲を生み出す。また伝説の歌番組『夜のヒットスタジオ』の司会としても活躍し、一時代を築く。

現在もドラマ、映画、舞台、音楽活動と幅広く活動し、今春公開の映画『60歳のラブレター』が大ヒットを記録した。


第8回は、スパイダースの一員として華やかにデビューし、現在は歌手、俳優、司会業など幅広く活躍されている井上順さんです。

10代の私にとって、『キャンティ』は生きた勉強ができる貴重な場所でした。

僕が初めて六本木という街を知ったのは、13歳の頃でした。1960年当時「六本木野獣会」というグループがありまして、名前はちょっと怖いですが(笑)映画や音楽、テレビの世界へ進みたい人、ジャーナリスト志望の人など、夢を持った若者が集まる場所だったんです。

そもそも野獣会に入るきっかけは、両親がとっても映画好きで、3人兄弟の末っ子だった僕をよく映画館に連れて行ってくれたんです。ディズニーやウェスタン、チャップリン…そんな作品を見て家に帰っては、兄さんや姉さんに身振り手振りで説明してた、そんな子供だったんですね。だから僕が中学に入った13歳の時、学校の勉強とは違う刺激を与えてくれるだろうということで、両親が引き合わせてくれたんです。そこには音楽を演奏している若い人たちがいてね。そういうのを生で見たのは初めてだったから「カッコいいな」と感動して。以来、学校が終わると遊びに行っては演奏に合わせて歌を口ずさんだりしてました。

その野獣会で先輩達に連れて行かれたのが六本木だったんです。まだ“六本木”という名前すら知らなかった頃で、当時はまだ都電が走っていて、瓦屋根の小さな商店が軒を連ねているような街並みでね、でもその中にポツンポツンと洒落たお店があったんです。今ちょうど「ドンキホーテ」が建ってる場所に、『レオス』というレストランがあって。店の雰囲気がとても外国的で、まるで映画の1シーンみたいでした。お客さんがこれまたカッコ良くて、今でいうスーパーモデルのような方々や、それから加賀まりこさんがいらしてたり、“店もいいけどお客さんも素敵だなぁ”と感動したものです。それが僕の六本木デビューの思い出。もう初日から、大きなカルチャーショックを受けました。その店に連れてってくれたのが、昨年亡くなられてしまったんですが……僕の兄貴分の峰岸徹さん。彼も野獣会の一員だったので、僕を弟分として随分可愛がってくださったんです。

それ以来、野獣会で誰かが六本木に行くと聞けば必ずついて行く、という感じで毎日のように通ってました。野獣会にはファッション志望の若者も集まっていて、その中に洋服屋さんの息子がいたんです。中学生だった僕は、何とか大人っぽく見せたいと思って、大人の証と言ったらスーツでしょう?(笑) 彼に出世払いでスーツを作ってもらって、それを着て背伸びをしながら六本木に通っていました。そして帰るのは毎日朝4時頃。学校もちゃんと行ってましたから、いつも寝不足です。でも本当に楽しかった。

今はどこも“個室”流行り。人との出会いこそ、店や街の魅力なのにね。

13歳で六本木に出没して、スパイダースに入ったのは16歳の時。フリータイムを過ごすのはいつも六本木でした。一番多感なときに、色んな空気を吸収して、周りの大人達を参考に見よう見まねで成長していった。学校も好きだったけど、学校とは違う大人の雰囲気を覗かせてもらえて、僕は幸せだったな、と思いますね。まさに、六本木と共に育った10代でした。

『キャンティ』のオープンもその頃です。そこにはレーサーの福澤幸雄さんがいらして、とてもカッコいい方でね、よく「順、ごはん食べに行くか」なんて声かけてくれたり、いろいろ知恵も授けていただきました。実は「スパイダース」は当時ジャズをやっていたんですが、ビートルズやストーンズの存在を教えてくれたのが福澤さんだったんです。世界中をレースで旅していた彼が最新の情報を与えてくれたことで、スパイダースのスタイルができあがっていったんです。六本木では色んな方と知り合いましたけど、僕を導いてくれた最も大きな出会いは福澤さんかもしれませんね。

『キャンティ』は1Fがベビードールという洋服屋さんで、多くのグループサウンズのバンドがそこで衣装を作っていました。客層も素晴らしい方達ばかりで、祐次郎さん、勝さん、三船さん…綺羅星のような大スターにしょっちゅう会えて、夢のようでした。とにかくあの店にいる時間が長かったな。当時の『キャンティ』は、まさに六本木を象徴する存在でしたね。

今はどこも“個室”流行り。人との出会いこそ、店や街の魅力なのにね。

大人になって仕事を始めても、近くに住んでいましたから、いつも六本木に立ち止まってから帰る、という感じでした。イタリアンなら『キャンティ』、寿司なら『すし長』、鶏なら「とり長」。音楽聞きたかったら『ロジェ』、歌を歌いたかったら『レバリー』、ジーンズの日はラフに「ハンバーガーイン」。あと四角いピザが食べたかったら『シシリア』ね(笑)。いつも店はだいたい決まってました。そして知り合いに会わない日は1日も無かった。行けば何か必ず誰かに会って、必ず新しい発見があったんです。

六本木って山の手とも違う、とても国際色豊かで、洒落た大人が集まっていて、一つの世界を作り上げた街ですよね。街が新しくなるのはとても結構なことなんですが、今まで育んできた“文化”は残しておいてほしいな、と思います。ヒルズもミッドタウンも、混雑しているという話を聞くとなかなか足が向かなくて、実はまだあまり利用していないんです。『リッツカールトン』は良いホテルですから、サービスは間違いないでしょうし、近いうちに行ってみたいですね。

近代化する中でも、訪れる人々を温かい眼差しで迎えられるような街になって欲しいですね。
僕は生まれも育ちも渋谷で、今も松濤に住んでいるんですが、渋谷も発展とともに色々な努力をして、過ごしやすい街づくりを目指してきた。六本木と重なる所があるんです。セーフティで、怖い事件が起こらなくて、輝きがあって温かみがある、そんな商店街になってくれればいいな。僕を育ててくれた六本木は、生まれ育った渋谷と同じくらい大切な街。だから、いつもそう願っています。

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