僕が初めて六本木という街を知ったのは、13歳の頃でした。1960年当時「六本木野獣会」というグループがありまして、名前はちょっと怖いですが(笑)映画や音楽、テレビの世界へ進みたい人、ジャーナリスト志望の人など、夢を持った若者が集まる場所だったんです。
そもそも野獣会に入るきっかけは、両親がとっても映画好きで、3人兄弟の末っ子だった僕をよく映画館に連れて行ってくれたんです。ディズニーやウェスタン、チャップリン…そんな作品を見て家に帰っては、兄さんや姉さんに身振り手振りで説明してた、そんな子供だったんですね。だから僕が中学に入った13歳の時、学校の勉強とは違う刺激を与えてくれるだろうということで、両親が引き合わせてくれたんです。そこには音楽を演奏している若い人たちがいてね。そういうのを生で見たのは初めてだったから「カッコいいな」と感動して。以来、学校が終わると遊びに行っては演奏に合わせて歌を口ずさんだりしてました。
その野獣会で先輩達に連れて行かれたのが六本木だったんです。まだ“六本木”という名前すら知らなかった頃で、当時はまだ都電が走っていて、瓦屋根の小さな商店が軒を連ねているような街並みでね、でもその中にポツンポツンと洒落たお店があったんです。今ちょうど「ドンキホーテ」が建ってる場所に、『レオス』というレストランがあって。店の雰囲気がとても外国的で、まるで映画の1シーンみたいでした。お客さんがこれまたカッコ良くて、今でいうスーパーモデルのような方々や、それから加賀まりこさんがいらしてたり、“店もいいけどお客さんも素敵だなぁ”と感動したものです。それが僕の六本木デビューの思い出。もう初日から、大きなカルチャーショックを受けました。その店に連れてってくれたのが、昨年亡くなられてしまったんですが……僕の兄貴分の峰岸徹さん。彼も野獣会の一員だったので、僕を弟分として随分可愛がってくださったんです。
それ以来、野獣会で誰かが六本木に行くと聞けば必ずついて行く、という感じで毎日のように通ってました。野獣会にはファッション志望の若者も集まっていて、その中に洋服屋さんの息子がいたんです。中学生だった僕は、何とか大人っぽく見せたいと思って、大人の証と言ったらスーツでしょう?(笑) 彼に出世払いでスーツを作ってもらって、それを着て背伸びをしながら六本木に通っていました。そして帰るのは毎日朝4時頃。学校もちゃんと行ってましたから、いつも寝不足です。でも本当に楽しかった。