六本木はもう、住んで随分になります。東京写真短期大学(現・東京工芸大学)の入学を機に徳島から上京して、卒業後カメラマンになってからは、赤坂のスタジオで仕事することが多かったので、六本木が便利だったんです。それで住み始めたのがきっかけで、いらい40年以上になりますか。こんな都会のド真ん中ですから、家族には悪いなと思いながら、便利なのでずっと住み続けてしまってますね。大好きな街ですが、大都会ゆえにストレスが多いのも事実。僕は仕事で全国各地を訪れてますが、それは仕事以外にも自分にとって必要なことなんです。六本木を愛するがゆえに、田舎の空気に定期的に触れることでどこかバランスを取ってるのかもしれないですね。
僕が初めて六本木に来た60年代の初頭は、まだチンチン電車が走ってました。その頃は狸穴町のところに八木正夫さんが演奏していた『クラブ88』と、向かい側にはまだ木造2階建てだった『キャンティ』があって。『キャンティ』は当時の自分にとってはビックリするくらい(値段が)高かったので、スパゲティ・バジリコだけ頼んで食うんですよ。あの味には洗礼を受けました。本当においしくてね、今でも本場のイタリアでパスタ食べても、「キャンティのバジリコの方がうまい」って思うくらいですから(笑)。
70年代の頃で思い出すのは、『パブ・カーディナル』。もっぱら打ち合わせと言えばこの店で、自分の仕事場のように使っていました。とにかくね、椅子が良かったのよ、お店の2階に背もたれのデカい革張りの椅子があってね。そこが俺の専用席(笑)。ある日行ったら誰かが座ってて、一体誰だ!と思ったら伊丹さん(故・伊丹十三氏)だったりね。
バブルの前までは、六本木という街の色があったけれど、今はほかの街と差が無くなってしまったように思います。チェーン店ばかりでカジュアルになり過ぎて、店の顔が見えてこない。“六本木に店を出す”というブランド力が薄れてしまったんでしょうね。以前は六本木五丁目に日本舞踊の武原はんさんの稽古場があって、そこには黒塗りの車がズラーッと並んでいて、その眺めだけでも街の品格になった。それから『寿司長』さんを始め、いわゆる“客種のいい店”がたくさんあったんです。どんな人をいつお連れしても大丈夫と思えるような、信頼感のあるお店がね。
今よく行くのは、アクシスの1Fにあるカフェ(『Brasserie Va-tout(ブラッセリー・バトゥ)』。あそこは値段もそんなに高くないし、それに目の前の舗道がすごく広くて気持ちがいい。六本木の大きな通りは全部あんな感じに舗道を広くして、テラスを出すといいんじゃない?、なんて思うけどね。あとはお蕎麦屋さんの『本むら庵』。日曜日の3時頃に行くと、お爺さんが1人で蕎麦をつまみに呑んでたりするの。僕も若い時分は「あぁ、蕎麦屋はあんな過ごし方があるんだ、カッコいいな」と憧れましたよ。そうやって大人の作法を学んだもんです。“いい蕎麦屋と風呂屋と床屋があればいい街”だとよく言うでしょう? 街に住む者としては、あぁいう個人の店に頑張ってもらいたいんです。
そういえば、数年前までAXISビルの近くに、古い日本家屋の雑貨屋さんがあったんですよ、しもた屋のね。その軒先でちょいと雨宿りしてる人がいたりして、いい風情だった。でも最近取り壊されて、駐車場になっちゃった。それぞれの事情があるから仕方がないですが、やっぱり寂しいし、残念ですよね。