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プロフィール

1943年12月11日東京都生まれ。高校在学中にフジテレビ「東京タワーは知っている」で芸能界入り。

1962年「涙を獅子のたて髪に」で映画デビュー。その後も数々の映画に出演し、1980年「夕暮れまで」でブルーリボン助演女優賞、1981年「泥の河」でキネマ旬報助演女優賞を受賞する。

舞台では、1965年に浅利慶太演出の「オンディーヌ」で主演を務め大反響を呼ぶ。近年ではTVにも多く登場し「私の青空」「利家とまつ」「毛利元就」など数々のドラマに出演、バラエティではしっかりとした感性と生き方、魅力的なトークで幅広い世代から支持を集めている。


第四回目は、『六本木族』の代表的存在として知られる、女優の加賀まりこさんです。

10代の私にとって、『キャンティ』は生きた勉強ができる貴重な場所でした。

私と六本木を結びつけたのは、イタリアンレストラン『キャンティ』がきっかけでした。初めてお店に行ったのはデビュー前の16歳の時、'60年の頃です。青山のボウリング場で川添家の坊ちゃんたちに、「今度うちの店オープンするから来ない?」って誘われたの。それでどんなお店かも知らずに訪ねてみたら、丹下健三さんや黛敏郎さん、三島由紀夫さん、藤間のご宗家_といった様々な世界の方がいらしてる。好奇心いっぱいの10代の女の子は、そこで嵐のような“文化的洗礼”を受けたのよ。彼らが喧々諤々と意見を交わしてるのを聞いているだけで、本当に面白かった。オーナーの川添夫妻(川添浩史氏、梶子夫人)が素晴らしいのは、当時の私のお小遣いではコーヒー1杯がせいぜいなのに、それでも何時間も過ごさせてくれた。大先生も無名の少女も、同等に扱ってくれたのよ。私にとって、生きたお勉強ができる貴重な場所だったのね。

それにお店が終わったあと麻布笄町(あざぶこうがいちょう)にある川添家までお邪魔すると、梶子さんが手際よくパスタを作ってくださる。それもTシャツを1枚着て足をスコーンと出して、その足首にはアンクレットが揺れててね。カッコいいのよ。そんな風に、辞書には載っていない“洗練”を感じていたんです。

20歳の時にパリに留学したのも、お二人の影響が大きいですね。浩史さんはパリ留学経験者で、梶子さんはイタリアの彫刻家エミール・グレコの元で勉強した人だから、二人ともヨーロッパのことを良くご存じだったし、沢山の人脈を持ってらした。だから夫妻の紹介でイブ・サンローランやサガン、トリュフォーと会ったり、シャネルでオートクチュールの服を仕立てたり_。素晴らしい体験がたくさんできました。でもね、夫妻には大きなチャンスを与えていただいたけど、それだけで何もしなかったらお仕舞いでしょ。その先は自分で行動を起こさなきゃ。特に若い頃は、自分が興味を持ったことには、臆さずに飛び込んでいく好奇心が大事だと思います。

それから'60年代の話になると、今でも「“野獣会”ってどんなグループだったんですか?」なんて聞かれるんだけど、実際は私は違うのよ。当時六本木に集う人たちが“六本木族”と呼ばれて話題になっていて、私もその一人と言われてたのね。それで混同されたのかもしれないけど、でも“野獣会”は確か、芸能プロダクションの社長が六本木族にならって若手スターの話題作りのためにプロデュースしたんじゃなかったかしら。だから野獣会のことは、どんな人たちが、どんな活動をしていたかも全然知らないのよ。それに私は六本木族と言っても、17歳で芸能界に入って、仕事帰りに『キャンティ』へ寄るために通っていたのだから、色んなお店で遊び回っていた訳ではなかったし_。野獣会のメンバーだったと言う人とも、街では会ったことなかったのよ。でもまぁ、自分にとってはどちらでもいいことだから、気にしてないですけどね(笑)。

今はどこも“個室”流行り。人との出会いこそ、店や街の魅力なのにね。

ほかに六本木で通っていたお店は、栗ちゃん(マスターの栗崎昇氏)のやってた『西の木』や先代の頃の『寿司長』。どのお店もあそこに行けば誰かに会えるという楽しみがあって、サロンのような雰囲気だった。あとウチの兄貴が六本木交差点のところで昭和50年代にやってた、ウエスタン・バーの『ジェームス』とか_。でも余りに街のド真ん中だし、正直ウエスタンがそんなに好きじゃなかったから(笑)、あんまり行かなかったけど。ムッシュ(かまやつ氏)はよく飛び入りで歌ってたみたいですよ。

最近は、映画宣伝会社のギャガで試写を見た時に美味しいもの食べて帰る、という感じですね。『まっくろう』か、やっぱり『キャンティ』で。六本木ヒルズにはまだ一度も行ったことがないんです。そう言えば、今は防衛庁跡地も再開発中で、そこにサントリー美術館が入るそうですが、今後六本木にはもっと文化施設が増えたらいいなと思いますね。特に劇場関係。劇場が俳優座だけなんて、少し寂しいですから。

結局、人が集まる良いお店は閉店や代替わりで無くなってしまうのね。今はほら、ほかのお客と顔を会わせないように区切ってあるお店が流行ってるでしょう。すごく個人主義になっている気がします。私たちの頃は逆だったじゃない? 人に会いたくてお店に出掛けたんだから。もう時代が変わってしまったのかな、と感じますよ。でも、だからこそ若い人たちが楽しく語り合えるような場所を、大人たちが率先して作っていかなくてはと思いますね。

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