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プロフィール

1945年高知県生まれ。1968年、雑誌「漫画ストーリー」で漫画家デビュー。以後、雑誌「漫画サンデー」連載の「ひみこ〜っ」で人気を博す。

綿密な取材力とコミックならではの表現形式で「新撰組」(1997年文藝春秋漫画賞受)、「坂本龍馬」(第2回文化庁メディア芸術祭大賞受賞)を手がけるほか、小学館雑誌「ビックコミック」の「赤兵衛」は30年以上連載、2002年には第47回小学館漫画賞審査委員特別賞を受賞した。


第二回目は、『赤兵衛』『新撰組』などの作品で知られる漫画家・黒鉄ヒロシさん。
まだまだ残暑が厳しい初秋の某日、ビールを片手に語られた思い出話の数々は、ユーモアたっぷりで、また街への愛情に溢れていました。

六本木は今も20代の頃の自分と共存できる場所。

六本木に出入りするようになったのは、大学進学で上京した頃、今から36、7年前のことです。それから'70年代に明治屋さんの隣のビルに仕事場を構えて以来、誘われたようにずっとこの界隈に住んでいます。バブルの頃に周りがザワザワし始めて、一時期アークヒルズに移ったんですが、今は再び六本木に。なぜこの街が好きかというと、いくら変わってしまったとはいえ、僕が初めて遊びに来た頃の雰囲気がまだあちこちに残ってるからです。だから20代の頃の感覚にすぐ戻れるというか、当時の自分と共存している感じがするんですね。

それから、六本木には不思議な、というか独特のムードがあるんですよ。例えばムッシュ(かまやつひろし氏)との出会いは、'80年にジョン・レノンが亡くなった次の日、六本木のレストランのトイレに入ったら偶然彼がいて、そのときはまだ会釈する程度の顔見知りだったのに、僕からいきなり挨拶も主語も無しに「いやな世の中ですね」と話しかけたの。そしたら「いやですねぇ」と。トイレで並びながらの自己紹介。それがきっかけだったんです。

某大物女性演歌歌手の方とも、天ぷらの『魚新』でお会いしたときに、酔った勢いで「歌いに行きましょう!」って、誘っちゃった(笑)。歌ってもらったのも感激だけど、僕の番のときには後ろからコーラスをかぶせて下さったの。最高でしょ? こんなふうに「六本木」という分母の上に乗っかっただけで、お互いに許せるというか、それだけで親しくなれるムードがあるんです。何度も同じお店に通っているうちに、いつの間にかお互いに会釈しあって、ちょっと一杯やる?_となっていく。つまり良い意味での不良性がお互いに確認できちゃったら、もう仁義切らなくて済んじゃうみたいなね。お互いの心の内を探りあう、まさに“ジャズ”のような雰囲気があったんですよ。今は残念ながら少し薄れてしまったのかもしれないですけどね。

世代を越えて街の空気を共有できる、そんな感覚が今後も残ってくれたらと思いますね。

'80年代の頃に、それまで遊んでた人がみんな家に引きこもっちゃった時期があったんですよ。きっと彼らは街が面白くなくなっていく前兆をいち早く感じ取ってたんだろうね。街が疲弊していく、というか_。昔の人が幸せだったのは、例えば先輩に銀座や六本木に連れていってもらって飲める、という喜びがあった。全部先輩がおごってくれて、お礼しようとすると「後輩に繋げて行きなさい」って諭されたりね。酒の席での礼儀とかは全てそこで教わった。

特に六本木は老若が幅広く集う場所だったから、歳の差もジャンプしてつき合えていたはずなのに、今はコミュニケーションが無くなっちゃったような気がするんです。でも、交流が途切れてしまったのは僕らの世代の責任かな、という気もしていて、だから仲間たちに声をかけて、これからはもっと街を出歩かなくちゃと思ってます。決して飲み方の礼儀作法を教える、なんて大義なもんじゃなく、若い世代と共存、共生するためにね。同じ年代だけでは生きていかれないし、先輩に頼っていてもみんな死んじゃいましたから(笑)。

それと、最近の若い世代の人たちってあまり遊ばないでしょ。麻雀やらない、ギャンブル全般やらない、お酒も飲まない_。別にそれを悪いとは言わないけど、遊びを「わざわざやってみなくても分かる、やってもやらなくても同じ」という考えは、やっぱり“野暮”でしょう? 野暮を嫌うから六本木という街ができたんですから。そういういい雰囲気を、つまりいい意味での遊びの街としての空気を、今後も失わずにいけたらと思うんですよね。

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