六本木の歴史
日本経緯度原点
六本木という現在では誰もが知る土地の名前ですが、意外にも名前の由来を知る人は少なく、
その由来にもいくつかの説があるようです。その中でも有力な説を4つご紹介します。
平家の滅亡の後、落ち延びた武者6人がこの地にたどり着き、5人が亡くなって榎を墓標とし、最後の1人が松の木のもとで力尽きた――その結果「六本の木」が地名の由来になった、というものです。非常にドラマチックで、日本人の好む「滅びの美学」にも通じる話ですが史料的な裏付けがほぼ存在しないので、信頼性は低いと考えられています。
六本木周辺には当時上杉、杉木、高木、青木、片桐、朽木という「木」にまつわる大名屋敷が6つあったから六本木となったという説があります。ただ調べてみると、これらの屋敷が同時期に六つ揃って存在していた確証は乏しく、後世に生まれた説明的な解釈と見る向きが強いです。
まず「男伊達(おとこだて)」とは、江戸時代に町人の中で義理人情を重んじ、侠気(きょうき・おとこぎ)を売りにした粋な人物たちのことを指します。いわば任侠的な気風を持つ町人リーダーのような存在で、歌舞伎や講談などでも人気の題材でした。「六方」というのは、そうした男伊達が六つの勢力・グループに分かれてこの地に住んでいたという説。ただこちらも、六本木という地名が成立した時期と、男伊達文化が盛んになった時期にズレがあるので後付けという向きがあります。
さてここまでみてきましたが、最後に有力な説を1つ。
最も有力であり、歴史的にも自然な説明として支持されているのが「六本の松の木があった」という説です。こちらはこれは日本各地に見られる地名の付け方(一本松・三本松など)とも一致し、さらに具体的な証拠として文献にも名前が登場する説です。

文政11年(1828)に地元の名主が幕府へさし出した文書に
「六本の松があったとは言いますが、いつまで、どこにあったか分かりません」と記されています。

有名な「お前麻布で気が知れぬ」というよく知られている一節は、ここからきているのですね。

ご存じない方のために説明すると、六本木はもともと麻布の中のごく一部のことを指す地名だったのですが、その由来となった6本の木がどこだか分からない、気(木)がわからない(お前の気持ち、ほんと読めないな)という『気』と『木』を掛けた、江戸っ子風・落語っぽい響きのある表現が流行りました。

また「気が知れぬ」は「黄が知れぬ」にもかけられ、目黒・白金・赤坂・青山とあって、五色の黄だけがこの辺り(麻布)のはずで足りないからという言葉遊びもあるそう。

六本木集落の起源ははっきりしませんが、古くは農家が多くあった土地で、二代将軍夫人(崇源院)の葬儀に功績のあったお坊さんが4つのお寺を建て、その門前をにぎやかにし、また収入のため町人を置く許しを得たのが六本木の始まりでした。

時が過ぎ、戦後のカルチャー発信地として全国に知られるようになり、麻布の六本木から世界の六本木へと発展し、今では国際的な都市になりました。