エリアスポット
坂「六本木近辺」
六本木周辺は坂の多い地域でもあります。
地形的に六本木は小高い丘の上にあり、六本木の交差点からはどの方向にも下り坂です。
高台に位置し、周辺を見渡せる為、古くは武家屋敷、近年では大使館などが建ち並ぶエリアとなりました。
ここでは四季折々に様々な顔を見せる六本木近辺の『坂』にスポットを当てて、ご紹介したいと思います。
 
なだれ坂
流垂・奈太礼・長垂などと書いた。土崩れがあったためか。幸国[寺]坂、市兵衛坂の別名もあった。
芋洗坂[いもあらいざか]
正しくは麻布警察署裏へ上る道をいったが、六本木交差点への道が明治以降にできて、こちらをいう人が多くなった。芋問屋があったからという。
霞坂[かすみざか]
明治初年に霞山稲荷(現在の桜田神社)から霞町の町名ができ、そこを貫通する道が明治20年代に開かれて霞坂と呼んだ。
   
丹波谷坂[たんばたにざか]
元和年間旗本岡部丹波守の屋敷ができ、坂下を丹波谷といった。明治初年この坂を開き、谷の名前から坂の名称とした。
道源寺坂[どうげんじざか]
江戸時代のはじめから、坂の上に道源寺があった。その寺名にちなんで道源寺坂または道源坂と呼んでいた。
寄席坂[よせざか]
坂の途中の北側に、明治から大正3年にかけて、福井亭という寄席があったために、寄席坂とよびならわすようになった。
   
於多福坂[おたふくざか]
坂の傾斜が、途中でいったんゆるやかになって、また下ったので、顔のまん中の低いお多福面のようだと名づけられた。
桜坂[さくらざか]
明治中期に新しく作られた道筋で、坂下に戦災まで大きな桜の木があったことからこの名がついた。
市三坂[いちみざか]
明治20年代に開かれた坂。名主の名がついた市兵衛町と、松平三河守忠直邸のあった三河台町との間で両頭文字をとった。
   
狸穴坂[まみあなざか]
まみとは雌ダヌキ・ムササビまたはアナグマの類で、昔その穴(まぶ)が坂下にあったという。採鉱の穴であったという説もある。
鳥居坂[とりいざか]
江戸時代のなかばまで、坂の東側に大名鳥居家の屋敷があった。元禄元年(1688〜1703)ごろ開かれた道である。
北条坂[ほうじょうざか]
坂下近く南側に大名北条家の下屋敷があったために、この名がついた。
   
落合坂[おちあいざか]
我善坊谷へ下る坂で、赤坂方面から往来する人が、行きあう位置あるので、落合坂と呼んだ。位置に別の説もある。
檜坂[ひのきざか]
江戸時代には、櫓の木が多いため、櫓屋敷と呼ばれた山□藩毛利邸(現防衛・櫓町公園)に添う坂であった。
饂飩坂[うどんざか]
天明年間末(1788)頃までに松屋伊兵衛という、うどんやがあったためにうどん坂と呼ぶようになった。昔の芋洗坂とまちがうことがある。
   
行合坂[いきあいざか]
双方から行合う道の坂であるため行合坂とよんだと推定されるが、市兵衛町と飯倉町の間であるためか、さだかでない。